河渡  

「ねぇつるりん、向こう岸に渡れないような川ってどんなの?」
 七夕伝説を聞いた第一声がそれだった。
 七夕は毎年祝う(というかそれにかこつけて宴会騒ぎを起こす)くせに七夕伝説を知らないという彼女に、一角がなんとなしに覚えていた話を聞かせてやったときのことだ。
 よっぽどドチビと言い返してやりたかったが、ここは大人の余裕でぐっとこらえる。
「さぁ。よっぽどでかいのか、あるいは深ぇのか。そこまで聞いたこたないっすねぇ」
「舟で渡ればいいのに」
「舟がなかったんでしょう」
「泳いで行けばいいのに」
「泳げなかったんでしょう」
「そんなの理由にならないよ」
 ぷぅ、やちるは頬を膨らませる。
 そんなことを言われても、と、一角は答えに窮す。ならどんな答えなら気に入るのだ。
 ――どんな答えも気に入らねぇだろうな
 考え直し、一角は続く言葉を待った。
「私だったら、そんな川飛び越えて剣ちゃんに会いに行くよ」
「副隊長ならやりそうっすね」
「なんで笑うの?」
 やちるはますます頬を膨らませた。
「好きな人なんでしょ? 大事な人なんでしょ? どうして他人に引き裂かれたくらいで諦めちゃうの?」
「あー…」
 唸り、一角は肚をくくった。自分が納得できるまでやちるは引かないだろうと悟ったのだ。同時にいくら強かろうが目の前のこの人は子供なのだと、改めて思い知る。
 「そっスねぇ…」と言いつつ、胡坐あぐらを組んでいた足を組み変える。
「渡りたくとも渡れなかった、とか」
「だからそれはなんで?」
「いや、方法論でなく感情論で」
「?」
「大事な人がひとりだけとは限らねぇでしょう?」
 言ってから、例えが悪かったかと思い直す。やちるの大事な人は、後にも先にも更木ひとりだ。
 けれど予想に反して反論がなかったものだから、一角は安心して先を続けた。
「川のこちら側に、そう簡単に置いていけない人がいたかもしれない。あるいは、例えば彦星が織姫に会いに行って、織姫が困ることになるかもしれない」
「なんで困るの?」
「二人を別れさせた天帝が、織姫の父親だったんスよ。仮定の仮定の話になっちまいますけど、もし織姫が父親とも仲が良ければ、ちょいと面倒なことになるでしょう」
「どんなふうに?」
「恋人が会いに来たは嬉しいが、父親の機嫌を損ねちまう・って」
「……」
 やちるが頭を抱えてしまった。一角も頭を抱えて言葉を探し、織姫と彦星をやちるの知る二人におきかえてみることにした。
「ほら、雛森副隊長って、藍染隊長と仲がいいでしょう」
「うん」
「あの二人を親子と仮定しますね」
「うんうん」
「で、これも仮定の話ですけど、雛森副隊長と日番谷隊長がお付き合いをしているとします」
「えっ、そうなの!?」
「ですから仮定の話ですって」
 妙な話をばらまいて彼の敵になるのはごめんだ。彼が好むのは飽くまで喧嘩で、抹殺リストに入ることではない。一角は何度も仮定の話だと念を押した。
「じゃあ、黒縁メガネと雛ちゃんが親子でー…しろーちゃんが雛ちゃんと付き合ってるとすると…すると?」
「藍染隊長が雛森副隊長に、日番谷隊長ともう会うな、と言ったとします」
「うん」
「でも日番谷隊長は会いに来てくれたとします」
「うんうん」
「藍染隊長にもう会うなって言われてんのに、です」
「うんうん。…ああ、洗濯バサミってやつだね」
「板ばさみです」
「うん、まな板ばさみ」
「…わざと言ってんでしょう」
「だってつるりんの話、つまんないんだもんっ!」
 言い、やちるはぴょんと、座っていた座布団から立ち上がった。
「あっ、副隊長! しつこいようですけど雛森副隊長と藍染隊長のことは…!」
「仮定の仮定の仮定の話でしょ? 聞き飽きたよーっだ」
 あかんべぇと舌を出すさまはあまりにも子供っぽくて、一角は怒る気も失せた。久々に頭を使って会話をしたせいか、一気に虚脱感に襲われる。
 てててと軽い足音が遠ざかる。更木にでも会いに行ったのだろうか。
 好きな人に、好きな時に、何の気兼ねもなく会いに行ける。これって実は物凄く幸せなことなのではないかと、疲れた頭で一角は考える。そう思うと今までは他人事にしか捉えてなかった彦星が、急に近しい人のように思えた。
「お互い大変だよなァ…」
 まぁこちらは、顔だけはしょっちゅう見れるのが救いだけれど。
 似ても似つかぬ十二番隊の某父娘を思い浮かべ、一角は重い溜息を吐いた。

―――了



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一角の話し相手を、ネムと弓親とどちらにしようか迷い、
けっきょくやちるちゃんに。
こんな屁理屈考える私って…子供か……
一角の喋り方が、どうにも阿近さんと被っているように思えてなりません;

牽牛を一角に、織女をネムに、
天帝にマユリさまを置き換えたらそれっぽいかなぁ、と。
織女に仕事放棄させるのは、一角よりも市丸っぽいですけど。