雨隠
「あ、…雨だぁ…」
ぽつりぽつりと涙のような雫を落とし始めた曇天を見上げ、雛森は落胆したように呟いた。
雨足は見る間に強くなり、あっと言う間に土砂降りとなる。「困ったなぁ」と、探し当てた資料を抱え、雛森は嘆息した。ここは隊舎から離れた資料庫で、傘もなしに移動することはできないのだ。
「困ったなぁ…」と、雛森はもう一度嘆息した。
と、そこへ。
「――なんだ、水の匂いがする…」
暗がりの方から声が聞こえ、驚いた雛森は思わず資料をばらまいてしまった。
振り返れば、暗がりからぬらりと現われたのは見覚えのある少年で。
「ひひひひひっ、日番谷くん!?」
「お、雛森。なんだ、いたのか」
「な、なんで日番谷くんがここにいるの!?」
「サボり」
言いつつ、日番谷は散らばった紙葉を拾い始めた。一方の雛森は心臓がばくばくと大暴れしっ放しで、ろくに言葉を返せない。
「ここ、人あんまし来ねぇからさ。穴場なんだよ」
そしてふと、雛森を見上げ。
「…内緒だぞ」
笑った。
どくん、雛森の心臓が一際大きく跳ね上がる。
落ち着け落ち着けと、雛森は自分に言い聞かせる。びっくりしたのは誰もいないと思っていたからだ。動悸がおさまらないのは急に笑ったりするからだ。
すー。はー。深呼吸を二度。
その間に日番谷は拾った資料を「ほらよ」と雛森に押し付け、彼女を通り越し、窓の向こう、雨のカーテンの先を眇め見た。
「あー、雨か…こりゃ動けねぇな」
「日番谷くん、傘持って来てないの?」
「降るとは思わなかったからな」
「だよねぇ…」
はぁ、溜息をひとつ。
「せっかくの七夕なのになぁ…」
「そりゃ新暦だろ。旧暦なら来月なんだからいいじゃねぇか」
「そうだけどー…せっかく一年に一度の逢瀬なのに…」
そもそも織女と牽牛が離れ離れになってしまったのは自業自得だと日番谷は思うが、それを言えば雛森が頬を膨らますのは予想できる。
だから、代わりに。
「…なら、尚更いいんじゃね?」
「えー!? どうして!?」
「一年に一度の逢瀬だ、じろじろ見られたくもねぇだろ」
厚い雲の向こう側。きっと今頃は二人きり。
今の日番谷と雛森みたいに。
「そっか、そうだね」
きっと雛森はそんなこと考えもしないだろうけれど。
そんなふうに納得して笑顔を見せてくれるなら、それだけで充分だと思ってしまう。
かく言う日番谷も、そのときは眉間の皺も消え、穏やかな笑みを見せていたのだが、生憎無粋な土砂降りの緞帳で、それは誰にも見られることはなかった。ただ一人、雛森を除いては。
―――了