その日、ルキアは非番で。
ちらほらと雪が降っていて。
そしてなぜか、
日番谷が、部屋に居た。
more and more
雪降る日は底冷えする。
けれど今は、先程から背中がぬくい。日番谷がルキアに背を預けて眠っているのだ。
ぬくいにはぬくい。が。
…居心地が悪い。
いや、それは言い方が悪いと、ルキアは胸中で首を振る。
居心地が悪いわけではないのだ。そんなに重過ぎることもなく、むしろ良いくらいの重量感であるし、相手の心音が聞こえるのはとても安心できるものであるし。
難を言うなら気軽に動けないことだけれど、これだってそう苦ではない。
まとめてしまえばぬくぬくとした仄甘い気分なのだ、とても。
けれど。
どうにもこう、気が落ち着かなく、ルキアはそわそわとしてしまう。
そしてやがて、この気持ちを形容するにもっとも近しい言葉を見付け、「ああ」と顔を上げた。
ああ、そうだ。面映いのだ。
不思議なもので、心持の正体が分かった途端に肩の力がぬけた。
と、その拍子に背中の日番谷が小さく唸る。
「――ん…どう、した…?」
「あ、すみません、起こしてしまいましたか」
「敬語」
「は?」
「ヤメロ」
「え、でも、」
「二度言わせんな」
寝起きのせいだろうか。語調が怒っているように聞こえる。
ルキアは肩を落とし、「…はい」と小さく答えた。
するとコツンと頭を叩かれた。
まるで「いちいち落ち込んでんな」と言いたげな時宜(タイミング)で。
言葉のないあたりがいかにも日番谷らしく、だからルキアも何も言わず、ただ笑った。
やがて背後でもぞりと動く気配があった。「…寒ィ」と呟く声はあったけれど、ぬくもりは離れない。
再び落ち着かない気持ちになって、ルキアは背中に話しかけた。
「隊士が、探してい、…た」
語調がおかしいのは「いました」と言いかけたのを直前で直したからだ。
日番谷は特に気にならないらしく、「あ?」と眠気の残る声で返す。
「来たのか? この部屋に」
「いえ、遠くでそんな声が」
聞こえたのだけれど背中に日番谷がいたから報せに行けなかったし、眠っていたから声を上げられなかった。
とは、恨み言に聞こえそうだったから言わないでおく。
ふぅん、と、日番谷は気のない返事を返した。
焦る気配もなく、逆にルキアの方が慌ててしまう。
「行かないでいい…のか?」
「放っとけ。大事なようなら松本が来るさ」
「だが…」
「いいんだよ、そもそも午前中自由にしていいっつったのは松本だ」
「そうなのですか?」
「敬語」
「…そう、なのか?」
「そ」
日番谷の答えに、ルキアは果たして、だから彼がこの部屋に居るのかと納得するべきか、なのにどうしてこの部屋に居るのかと疑問に思うべきなのかと妙な面持ちになった。
その間に日番谷がもう一度「寒ィ」と呟いたから、ルキアは「雪が降っている」と教えた。
「マジ?」
そんな声とともに背が軽くなる。日番谷が身体を起こしたのだ。
冷気がするりとふたりの間に割って入ったけれど、馴染んだぬくもりと重さはすぐに戻ってきた。
「驚いた…」
その声が、ひどく珍しいことに嬉しげな響きだったから、ルキアはちらりと振り返る。
「降ったらいいのに・って思ってたんだ」
「ああ、それで」
「今日も、さ」
「はい」
「休みが取れたらいいのに・って思ってたら、松本が休みくれて」
「はい」
「朽木に会えるかと思ってたら会えて」
「はい」
「寒ィけど、でもあったかくて」
「? …ああ、はい、私も」
「そか」
「はい」
背の筋がわずかに動き、日番谷が笑ったのだと知れた。語調が柔らかいし、間違いない。
自然、ルキアの口許もほころぶ。
「叶ってないのは、あとひとつなんだ」
「ひとつ?」
「ひとつ」
それは何だと、訊くより先に。
こてん。
日番谷の頭まで背に預けられ、ルキアはたまらず前傾姿勢になった。
「ひつ、がや、たいちょう…?」
「……」
「ひつがや、たいちょう」
何度か呼んだけれど応えはなく、「…寝たのか?」との問いかけにも返事がなかったから、多分寝てしまったのだろう。
前傾姿勢のまま、ルキアはくしゃり、苦笑する。
日番谷は自分を困らせるのが本当に巧い、そう思って。
そんなに近くに居てくれるなら。
無防備に背を預けてくれるなら。
誘惑に駆られてしまうじゃないか、と。
「――とうしろう」
小さく小さく囁いて、ルキアはひとり赤面する。
背中を窺い、日番谷の起きる様子がないのを確認するとほっとして、もう一度唄うように、「とうしろう」と繰り返した。
すると。
ごろり、日番谷が動く気配があって。
「とうし…っ」
拒否する暇もなく、抱きすくめられた。
「起きて、らしたんですか…!?」
非難の言葉は胸板でくぐもってしまう。
日番谷はそんな声には耳も貸さない。
「もう呼んでくれねェの?」
「なに、」
「とうしろう」
ぼん。
音を当てはめるとしたらきっとそんな音だ。
瞬時に身体中の血液が顔に集まった気がして、ルキアはくらり、気が遠くなる。
「呼べよ、ルキア」
「…っ、……〜〜っ」
「ルキア」
それで、おしまい。
それ以上は望まないから。
今年の内は。
そう宥められた気がするけれど、耳元で囁かれたことで尚更ルキアは狼狽し、聞こえた言葉さえ理解できなくなってしまって。
結局なぜ「今年の内は」などという限定詞が付くのかを知るのは、その日の午後、乱菊に遭遇してからになる。
―――了