コオリヅキ
その人の姿を見る度、声を聞く度。
あたしの背中はひやりとする。胸がきゅうとなる。
話をするとなるとそれがもっとひどくなって、視線すら合わせられない。彼はそれを面白がって、わざと屈んで覗き込んできたりして、なおさらあたしは狼狽してしまう。
そのことを相談すると、藍染隊長は
「悪い奴じゃないんだけどね。雰囲気が独特で、雛森君は苦手かもしれないけれど」
そう苦笑し、日番谷くんは
「なら近付くな。近付かれたら逃げりゃいいだろ」
そう一蹴し、乱菊さんは
「あいつまた雛森からかってんの!? 待ってなさい、とっちめてくるから!」
そう息巻いたけれど、辛うじて止めた。あたしが勝手に怖がっているだけで、彼に非はないもの。
怖い。
うん、この気持ちは、怖さに近い、…ような気がする。
どうしてだろう。どうしてこんな気持ちになるんだろう。悪い人じゃないのに。
最近はそんなことばかり考える。
だからぼーっとしてたのかもしれない。
七緒さんから借りた資料を返しに行く道すがら。何もない廊下で、あたしは見事に転倒した。
折り良く一陣の風が吹き、あたしの手を離れた資料が、ふわり、舞う。
「あ…っ」
そのさまはまるで紙吹雪。蒼天に、白い紙が映える。
その向こう。気の早い真っ白な月が見えた。
猫の爪のように細い月は、その透明さもあいまって、硝子細工のようにも見える。光に透かすと溶けてしまいそうな。
「ひゃあ、えらいことなってんなァ」
不意に背後からかけられた声に、あたしは必要以上に驚いてしまった。きっと、それが彼の声だったからだ。
「どないしたん? 足でももつれさせたかー?」
器用なことするねと笑いながら、彼は書類を拾ってくれる。
「すっ、すみません、大丈夫です、あたし拾いますから…っ」
「もう拾ってもうたわ。なんなら散らかし直そか?」
「い…いえ…ありがとうございます……」
本当は目を合わせて言うべきなのだけど。
どうしても、顔が上がらない。
「顔、赤いで。想い人のことでも考えとったん?」
「いっ、いえっ!」
思わず顔を上げると、目の前で細い双眸が弧を描いていた。
たったそれだけのことで動揺して、呂律が回らなくなる。
「ああああああのっ、月がっ、見える、と、思っ…」
「ああ、ほんまや。珍しねぇ」
氷みたいやね、と、彼は月を見上げ、言った。
ああ、そうか。溶けそうな月、なら、硝子じゃなくて氷の方が似つかわしい。
――あの月は彼に似ている
唐突にそう思った。
そして同時に。
あたしの胸を騒がしていたものが、急にすとんと、形になった。
ああ、あたし。
この人が怖いんじゃない。好き、なんだ――
そう認識した途端に。世界が真っ白になった。
「知恵熱ねぇ」
おっとりと、卯ノ花さんは診断してくれた。
気を失ってしまったあたしを、彼は四番隊隊舎まで運んでくれたそう。恥ずかしくて恥ずかしくて、きっとこれ以上、熱は出ない。
「いい機会だから少し休んでなさいと、藍染隊長から言付かっています。ゆっくりなさいな」
「は…い……」
卯ノ花さんが執務室に戻り、診療室に誰もいなくなってから、あたしは長い息を吐いた。
この感情に気付いてしまったのは良いけれど。
これから彼に、どう接すればいいんだろう?
熱は上がらないけれど、下がりもしない。
いっそあの氷のような月が降りてきて、冷ましてくれたらいいのに。
―――了