ギブ・アンド・テイク  

「なーなおちゃーん、おるー?」
 間延びした声に聞き覚えはあったものの、それは普段は馴染みのない者の声だったため、京楽は訝って咄嗟の返事ができなかった。
「ななおちゃーん? おらへんのー?」
 やはり聞き間違いではない。三番隊隊長の市丸の声だ。
 手に持っていた筆を置き、京楽は障子越しの影に呼びかけた。
「入っといでよ、市丸。七緒ちゃんはいないけど」
「ほな、お邪魔しますわ。…なんや、春水さんが真面目に執務室におるなんて珍し光景やな」
「君、人のこと言えるの?」
 市丸の第一声に苦笑し、京楽は長年愛用してすっかり身体に馴染んだ椅子を立ち、市丸に座具を勧めた。
「おおきに。まぁ、お互いによぅできる部下持っとりますし」
「…頼むからそういうことは、なるべく七緒ちゃんの前で言わないでくれよ。彼女はイヅルくんより厳しいんだから。そうだ、七緒ちゃんに用?」
「用ゆぅほどのもんでもあらへんのんですけど。コレ、届けに」
 差し出された書類には丁寧で几帳面に書かれた文字が並んでいる。間違いなく七緒のものだ。そういえば裁決の前例資料を貸したと、前に報告された気がする。けれどそれは三番隊にではなく、五番隊だったような気もする。
 まずい、記憶があやふやだ。また七緒に小言を言われるかもしれない。
「資料借りとったんは、間違いなくボクらやのうて五番隊でおうとりますよ」
 考えが顔に出ていたのかもしれない。市丸が笑い、京楽は「あ、そう」と安堵の息を吐いた。
「あれ? じゃあなんでコレ、君が返しに来てくれたの?」
「ほんとは雛森ちゃんが返そ思てたらしいんやけど、ちょお、ボクが邪魔してもうたんですわ」
「へぇ?」
「ちょっと声かけたらえろぅ驚いたらしゅうて、倒れてもうて」
「…どんな声かけたんだい」
「さぁ、覚えてへんねんけど、そないに変なことは言いまへんでしたよ」
「……まぁ、彼女は普段から君を怖がってる素振りはしていたけどね」
「しゃあないから、彼女を四番隊に運んで、落とした書類をここまで届けに来たゆぅわけですわ」
「そりゃわざわざ。お礼に一献どうだい?」
「ええんですのん? お宅の副隊長、ウチのより厳しいんでっしゃろ?」
 再び、市丸は笑い、京楽は残念そうに溜息をついた。
 それを潮に、市丸はひょいと腰を上げた。
「お礼ならもう貰うたんで、ええですよ。ほな、七緒ちゃんによろしゅう」
「ああ。次に休みが重なったときにでも、飲みに誘ってくれよ」
 市丸はそれに手を振って応え、京楽も軽く手を上げ、戸が閉められ、足音が遠ざかり、「やれやれ」と息を吐いたところでようやく、京楽はふと考えた。
「――お礼?」
 誰から、何を?
「…ま・いっか」
 さぁて、七緒ちゃんが帰ってくるまでに、少しでも仕事を減らしておかなくちゃ。
 自分に言い聞かせ、京楽は重い腰を上げて元の椅子に戻った。


 四番隊隊舎へ向かう廊下を、市丸が雛森をお姫様抱きにして運んで行ったという噂が流れたのは、それからすぐ後のことだ。

―――了



-----  -----  -----

『コオリヅキ』後日談。
ご機嫌ギンさん。関西弁が怪しいのはご愛嬌(こら)

噂を聞いた日番谷たいちょ、雛森ちゃんに小言を言いに行きます。
けれど卯ノ花さんににっこり追い出されたり。
それをギンさんに見付かって、ますます不機嫌に。
…好きですよ? 日番谷たいちょ。