「お、乱菊〜」
 残暑も過ぎ、日によっては肌寒く感じることもある秋のある日。
 間延びした声に振り返ると、市丸がゆるく手を振りながらこちらに向かってくるのが見えた。
 片手には黄色の小さな花束が見え、珍しい取り合わせに、乱菊は奇妙な顔をした。
「どしたの、それ。似合わないわよ」
「ボクんやないもん。キミのや」
 言い、市丸はひょいと花束を差し出した。
「お誕生日おめでとさん」
 乱菊の目が大きく二度瞬いた。
 そして花束を受け取らないままじっと市丸を見上げ。
「…ありがと。だけど、」
 あたしの誕生日、明日なんだけど。
 あきれたように、そう言った。


  Don't forget me.  


 乱菊の誕生日は9月29日、今日は28日だ。どちらを間違えて認識しているのかと訝っていると、「知っとるよ」とこともなげな答えが返ってきた。
「明日まで待って他のぎょーさんの贈り物に埋もれてまうよりは、今から渡してしまお思て」
「あんたらしいわ」
 笑い、「ありがと」ともう一度言って、乱菊はようやく花束に手を伸ばす。
 乱菊の手が花束を受け取り、市丸の手が花束を離れる間際。
「乱菊」
 ぽつり、こぼれる声があった。
「忘れんといてな、ボクのこと」
 思いもしなかった言葉に、乱菊の手が止まる。
「市丸?」
 再び市丸を見上げると、けれどそこには、いつもの捉えどころのない笑みがあるだけだった。もう一瞬でも早く顔を上げでいれば、儚げな笑みが見えたのかもしれないけれど。
「10日。ボクの誕生日。キミ、忘れとったやろ」
「なによ、祝って欲しかったの?」
 追求しても上手に誤魔化されてしまうことを、乱菊は長年の経験で知っている。敢えて深追いしないのはそのためだ。互いに詮索し合わない、それがこの男との付き合い方だ。
 寄りかからず、突き放さず。この距離が、丁度いい。
 「それなりに」、と答える市丸に、乱菊は「じゃあ、今夜」と返した。
「久々に『ひょうたん』でどう? まとめてお祝いしちゃいましょ」
「酒か? でもキミ、明日は他のんに祝ってもらうんちゃうん?」
「今日は今日、明日は明日。祝うの? 祝わないの?」
「祝ってもらう側のセリフか、それ」
 笑い、市丸は花束から手を放し、ぽんと頭ひとつ分低い乱菊の頭を叩いた。
「りょーかい。楽しみにしとるわ」
「ん、じゃあ夜にね。……市丸ー?」
「んー?」
「あんたこそ忘れんじゃないわよ、私のこと」
 振り向いた市丸の双眸が、数度、瞬いた気がした。細目のためにはっきりとは分からないが、多分。
 やがて薄い唇が、弧を描いた。
「忘れへんよ」
「約束よ?」
「約束や」
 その答えに満足し、乱菊も口角を吊り上げる。
 「じゃあね」と言い残し、今度こそ、自分も歩を進め、
「……」
 ふと足を止め、貰ったばかりの花束を見やる。
 ――忘れへんよ
 …贈り物は所詮添え物だと言ったのは誰だったろう? うん、確かに。乱菊はそう思わずにはいられない。
 花束よりも何よりも、市丸の言葉の方が嬉しかったのだから。

―――了



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どっちのお祝いしてるんだか…
市丸たいちょのお祝いもなんとなしに不完全燃焼だったので;

贈り物の主役は言葉なのだと、何かの本で読んだのです。