「何か飲む?」
「何すねてんですか隊長」
顔を合わせた乱菊の第一声がそれだった。
眉間にしわをきざんだまま「別に」と応え、日番谷は手元の書類を選り分ける。
その様を斜に見つつ、乱菊がぽっつり、呟いた。
「――朽木がへこんでましたけど」
ぴたり。
日番谷の動きが一瞬止まり、すぐに何事もなかったかのように動き出す。
予想以上の反応に、乱菊は正直に、面白いと思った。
「…それがどうした」
「何言ったんです、隊長。朽木に」
「なんで俺に訊くんだよ」
「あら、言って欲しいんですか?」
「………」
ぎろり、睨まれた。立場上肩を竦めては見せるものの、しょっちゅうのことだからそれほどこたえてはいない。
険悪な視線に涼しい顔で応えると、案外あっさり、向こうが折れた。
仏頂面のまま墨をすり、一字一句間違えることなく、ルキアに向かって吐いた言葉をなぞることには。
「…俺の機嫌取ってる暇があるならお前の兄貴の機嫌でも取ってろ」
「うわサイアク」と、打てば響くタイミングで断じられ、日番谷のしわが深くなった。それでも言い返さないのは自覚があるからだ。
反論がないのを見ると、乱菊はこれ見よがしの溜息を吐き、裁可済みの書類を取り上げ小脇に抱えた。
「悪いと思ってるなら、せめてそういう顔を朽木に見せないでやって下さいよ。あの子は必要以上深く考え込んじゃうんですから」
「余計なお世話だ。…俺だって好きでこんな顔してるわけじゃねぇ」
ただ、あまりにも。
やりきれなくなるのだ。何かにつけて彼女の義兄の存在を思い知らされるのが。
些細な言動だからこそ余計に。
そんな不満が、ふとした拍子にあふれ出して。
彼女にぶつけてしまう。今回のように、いらぬ棘を貼り付けて。
いつの間にか筆をとる手が止まっていた。
乱菊の言うへこんだルキアが嫌でも脳裏に浮かんで離れない。
「…松本」
「早く謝っちゃうのが一番ですよぉ?」
「……まだ何も言ってねぇ」
「あら、見当違いでした?」
上官を子供を見るような目で見、乱菊はころころ笑った。
なぜ笑うのか、日番谷が理解するのはその数秒後。
書類を片手に、乱菊は戸を開けながら。
「こんな感じで悪いとは思ってるみたいだからさ、許してやって?」
朽木、と続いた乱菊の言葉に顔を上げると。
困ったような慌てたような、居心地の悪い、行き場を探す子犬のような目と視線がぶつかった。
縮こまったその姿を確認し、ことの次第を察すると、日番谷はひくりと口元を動かした。
「…松本。てめぇ」
「諦めて下さい、隊長。例えどんなに傷付けられようと理不尽であろうと、先に折れるのが男ってもんです」
にっと笑う副官は紛うことなく大人のオンナで。
少々悔しい思いをしながら、日番谷は黙ってその背を見送った。
残されたルキアは立ち竦んだまま、どう動こうか考えあぐねているようだ。
その様に日番谷が眉をしかめると、ますます縮こまる。
――ああ、本当に…
「…入るのか入らねぇのか、どっちだ」
「あ、…」
「……暇なら入ってけ」
言い、日番谷は椅子から立ち上がり。
「――何か飲むか?」
むずがゆい心情を悟られぬよう、顔をそらし、そう言った。
仲直りのための、第一歩を。
やや間を置いて安心したような「…はい」という返事を背に受け、日番谷は思う。
ああ、本当に。
本当に、なんて理不尽な 性(さが)。
―――了