A Draw Game
「おやま」
ふらふらと歩いていた折に見慣れぬものを見付け、市丸は思わず足を止めた。
その人物自体はしょっちゅう顔を合わせ、会話をしたこともあるし、互いに見知った仲ではあるけれど。
「珍しなァ…」
幹に背を預け、静かな寝息を繰り返す彼女を見下ろし、市丸はしみじみと呟いた。木陰で転寝をしているのは二番隊隊長の砕蜂だった。
話し掛けてもにこりともせず、口を開けば「下らぬ」と言い捨てる彼女がこんなにも無防備なのは本当に珍しい。つい市丸は腰を落とし、まじまじと見入ってしまった。
――顔に落書きしたら、さすがに起きるやろか
起きるどころか殺される。簡単に殺されない自信はあるが、敢えて自爆装置を起動させることもない。
とはいえ何もしないで通り過ぎるにはこの状況はもったいない。さてどうしよう。そう考えている折。
市丸に、影がかかった。
「何してんですか」
「お、修ちゃん」
背後からぬぅと現れた檜佐木は、指を唇に当て、「シィ」と市丸を離れた場所に連れ出した。
「キミは驚かへんのん? アレ」
「砕蜂隊長ですか?」
「せや」
「さっき見かけましたから。まだ寝てるとは思いませんでしたけど。…てか、修ちゃんて何ですか」
「修兵やろ、自分」
「……まぁ、いいですけど」
納得しかねる顔で、檜佐木は背後に見える隊舎を指した。
「雛森が探してました、行ってあげて下さい」
「ボクを? へぇ、何やろ」
「お菓子を作ったとかで配り歩いてました。早く行かないと日番谷隊長あたりに渡しちゃうんじゃないですか、市丸隊長の分」
「そんなことはせぇへん思うけどなぁ。まぁ、おおきに、修ちゃん」
「…それ、やめて下さい」
「可愛ぇやん、修ちゃん」
面白げに繰り返し、市丸はその場を後にした。
檜佐木は市丸の姿が見えなくなるのを待ち、それからやおら振り返り。
「――起きてんでしょ、隊長」
木陰に戻り、そう言った。
「隊長ってば」
「…お前が隊長と呼ぶのをやめたら起きる」
「そんなわがままな」
とりあえず、砕蜂の隣に腰を下ろす。真上から見下ろしてみると砕蜂の口元がわずかに笑っていた。
「あんまり無防備なのはやめて下さいよ…ちょっかい出されたらどうすんです」
「私に手を出す者が、生きて帰れると思うか?」
「出された後はどうもいいですよ。出されること自体が厭なんです、俺が」
「ハ」、砕蜂が笑う。
「嫉妬深い男は嫌われるぞ」
「放置しても拗ねるくせに」
直後、拳が舞った。避けそこね、檜佐木は身を折ってうめく。
「――お前が居たからな」
涙目になる檜佐木の横で、涼しげに、砕蜂は言う。
「は?」
「霊圧。…お前が近くに居ると分かっていたから、大丈夫だと思っていたんだよ」
それは極上の殺し文句。殴られた腹の痛みも遠退くほどの。
「……それは是非、目ェ開けて言って貰いたかったっすね」
「起こさないのは前だろう」
「…誰が見てるか分かんねぇのに」
「ふん」、砕蜂は鼻で笑った。そして何か言おうと唇を開きかけ、
「――っ」
額に覚えた感触に、息を呑んだ。
はっと目を開けば視界が閉ざされている。違う、目の前のそれが近過ぎて何か分からないのだ。
それは檜佐木の頬だった。そして額に触れているのは彼の唇。
「何をする!」
「あ、起きた」
砕蜂の改心の殴打はあっさり避けられた。愉快犯の笑みが憎らしい。
悔しげに体勢を立て直そうとする砕蜂に、檜佐木は慌てて「ムキになんないで下さいよ」と釘を刺す。砕蜂に本気で挑まれれば、さすがに五体満足では済まされない。
「あまり余裕ばかり見せていると反撃喰らいますよ・って話です」
言い、檜佐木は先に立ち、砕蜂に手を差し伸べる。
「隊長の分も預かってんです、菓子。喰いません?」
「雛森の菓子は甘い。好かん」
「付き合って下さいよ、渋茶淹れますから」
「…柏屋の玉露」
「はいはい。
その返事はあまりにさりげなさ過ぎて、危うく聞き流すところだった。
檜佐木の声が鼓膜に届き、脳が確認し、二回ほど確認して、その直後。
顔が真っ青になった。…檜佐木の。
見れば先程砕蜂の拳を喰らったのと同じ腹に、二発目がめり込んでいる。
「た…ちょ……も、ちょい…手加減……」
「知らん! 先に行く!」
足取りも荒くその場を後にする砕蜂の耳は、後ろから見ても分かるほどに赤く。
「痛み分けか…」と、檜佐木は痛みにうめきつつ、呟いた。
―――了