『思わず立ち止まりたくなる5題』
お題提供:『おつまみ提供所。』さま

  放課後の教室  

 斜陽が射す回廊を、日番谷は五番隊隊舎の方へ、一人歩いていた。
 昼間に雛森が菓子を差し入れてくれ、その器を返しに行く途中なのだ。乱菊に行かせても良かったが、彼女はここしばらく根を詰めて隊務に励んでくれていたし、たまには先に帰れと追い出したのだ。
 五番隊隊長の藍染は、隊務が終わっても本を読んだり私的な調べものをしたりと遅くまで残っていることが多い。彼に心酔している雛森も彼より先に帰ることなどないし、だからこんな時間になっても、五番隊の隊首室には灯りがついている。
「居るか?」
 応えを承知で声をかけると、果たして中から、穏やかな声が返ってきた。
「居るよ。どうぞ」
 遠慮なく戸を開けると、いつも通り、藍染は定位置の机で読書に耽っていた。しかし、来客があればすぐに顔を出すはずの副官の姿がない。
「雛森はどうした?」
「開口一番幼馴染の心配かい? 妬けるなぁ」
「何にだよ…コレ、器。返しに来たんだ」
「ああ、それはわざわざ。そこに置いておいてくれて構わないよ。帰りしなに、僕が片付けておくから」
「だから雛森はどうしたよ? あいつが使ったんだからあいつが片すべきだろ」
「でも僕もいつもごちそうになっているからねぇ」
 そんなことを聞きたいわけではない。そんな日番谷の心中を承知で、藍染はわざと言っているのだ。
 むぅと言いたげに、日番谷の眉間に皺が寄る。
「…そうかよ」
 少々じらし過ぎたかもしれない。
 ふいっと視線を外す日番谷に、藍染は苦笑した。
「雛森くんなら副官室だよ」
 ぱらり、ページをめくる。同時に日番谷が振り返った。
「良ければ様子を見てきてくれないかな」
「…子供じゃあるまいし。わざわざ見に行くほどのことでもねぇだろ」
「いや、そうではなく」
 言いかけ、藍染は「ああ」と気が付いた。
「もしかして、聞いてないかな。ウチの管轄でホロウが出たこと」
「余所の動向まで把握しきれるかよ」
「まぁそうだけど。…怪我人が出てね。腕を一本、持っていかれた」
 言われてみれば、四番隊の周辺が騒がしかったような気もする。けれど騒がしいからといって首を突っ込むような野次馬根性は、生憎日番谷は持ち合わせていない。
 けれどそんな話を聞いて「あ、そう」で済ませるほど、薄情でもない。
「そりゃあ…気の毒に。だが現世に行ったってことは、例えそいつが新入隊員であろうが、相応の実力と覚悟があってのことだろ?」
「そうだね。実際、ほんのささいな油断だったらしいよ。けれど、雛森くんは落ち込んでね。自分がしっかりサポートできなかったから、と」
「ああ…」
 ようやく話が繋がった。今回の討伐隊は雛森が率いて行ったのか。
 目線で問えば、藍染は首肯し、日番谷は嘆息した。
 二人が常々思っていることではあるが、雛森は優し過ぎる。その優しさは一隊の副官にはそぐわないと、特に日番谷は思う。優しさや甘さ、労わりだけでは人を束ねることはできない。人を諌め、導くといったことは、彼女には向かないとさえ思っている。
 それでもこれが彼女が選んだ道なのだから。今更死神職を退けと言っても、妙なところで強情な彼女は、きっと受け入れない。
「…分かったよ」
 もう一度息を吐き、日番谷は言った。せいぜい呆れているように見えるよう、口許を歪め、笑う。
「大変だな、副官が子供だと。気苦労が絶えないだろう?」
「そうでもないよ。彼女といると普段見過ごしてしまうようなものに目がいくし、何より落ち着くんだ。いくら気が張り詰めていてもほっとできる。すごいことだと思わないかい?」
「…そうかよ」
「あ、そうだ、日番谷くん」
 戸を開け、隊首室を辞す直前の彼に、藍染は小さくて丸いものを数個、手のひらに落とした。色とりどりの飴玉だった。
「渡せるようなら、雛森くんに」
「多くねぇか?」
「半分は君に。甘いものは嫌いかい?」
 嫌いではない。嫌いではないけれど。
 子ども扱いされたような気がして、日番谷の眉間の皺がさらに深くなった。
 「…どーも」と一言残し、戸を閉めると存外に乱暴になってしまい、こういうところが子供っぽいのかと後悔したが、もう遅い。
 悔し紛れに、日番谷は足早に回廊を歩いた。


 副官室に灯りはついていなかった。けれど誰かがいるのは気配で分かる。近付けば嗚咽も聞こえた。
 戸の前で立ち止まり、「雛森、」と呼ぼうとして…寸前で止める。よぅく気を付けてみれば、気配がふたつあるのが分かったのだ。
 ひとつは間違いなく雛森だ。いまひとつは霊圧を押し殺してはいるが…ひょっとすると。しかしコイツが、なぜここにいるのだ。
 日番谷はそぅっと、音がたたないよう静かに戸を開けた。
 すっきり整理され、ところどころに花の活けられた部屋を、彩度の低い夕陽が照らしている。光源はたったそれだけ。その奥、障子が嵌められた窓の側。
 窓枠に背を預けて腰を下ろす男の姿があった。次いでその腕の中に、こちらに背を向けたこの部屋の主を見付けた。
 逆光ではあったが、ひょろりと背の高いその男が誰なのか、日番谷にはすぐ分かった。
「市ま…っ」
 口を動かすと、雛森を抱いていない方の腕がすぃと動き、口元で止まる。「しィ」と、沈黙を促す合図だ。
 雛森は気付いていない。嗚咽で肩を震わせるばかりの彼女を見、…いや、彼の腕に収まっている彼女を見、日番谷はなぜか無性に悔しくなって…開いたときよりももっと慎重に、戸を閉めた。
 来たばかりの回廊を、日番谷は足早に歩いてゆく。ともすれば走り出しそうだ。けれど足音を立てれば雛森に気付かれてしまう。そう分かっていても、早く副官室から離れたかった。見たばかりの情景を忘れてしまいたかった。
 そう、それは情景といって差支えがないほど絵になっていたのだ。何も欠けておらず、何も重複しておらず、自分が入る隙間など、ほんの少しもなかった。
「くそ…っ」
 副官室が見えなくなるほど遠く離れてから、日番谷は小さく吐き捨てた。


 泣き疲れて眠ってしまった雛森に自分の羽織をかけてやり、市丸はそっと戸を開けた。去り際に日番谷がなにやら置いて行ったのを思い出したのだ。
 副官室の前に置かれていたのは、飴玉がひとつきり。赤色のそれは、梅か苺か。
 日番谷に飴を持ち歩く嗜好などない。おおかた「雛森くんと君に」と、藍染あたりからいくつか貰ったものだろう。
 けれどひとつしか置かれていない、ということは、明らかに市丸の分はないわけで。
「…大人気ないなァ」
 くすり、笑いをひとつ漏らし、市丸は拾った飴玉を、袂にしまってしまった。

―――了



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日番谷たいちょは、雛森ちゃんは初恋の相手かもしれないけれど、
抱いてる情は肉親のそれに近い…と思う(桔月脳内)。

意地悪ギンさんが描きたかったのです。
でも後できっと、素知らぬ顔で雛森ちゃんに渡すんです。
日番谷たいちょの存在なんて教えもせず(笑)

ところでこれは市雛? 日雛?