いつもより宵闇が早いと思ったら、いつのまにかさぁさぁと小雨が降っていた。
 夜が深まるにつれ雨足は弱まりはしたものの、屋外に居れば数分でしっとり濡れてしまう。
 曖昧な空やなァと思いつつ、市丸は自室でくぴりと杯を傾けた。

 こんな夜は嫌いでない。


  酔花  


 ふと視界の隅に白い影が見えた気がして、市丸は宵闇に目を凝らす。…ああ、やはり。
 誰かが外歩きをしている。それも傘も差さずに。
 あれまぁ小洒落たことをする、市丸は面白く思い、手酌で杯を満たす。人影の動きは舞を舞っているようで、酒精の助けもあり良い気分だ。

 ――いや、あれは
 ふと気付き、手を止める。

 舞って、いるのか。この雨の中。たったひとり。
 これはますます粋狂な。
 くつりと笑い、市丸は気の向くままに立ち上がった。

 なんとなしに傘を持った。
 濡れても良かったけれど、舞人と客が同じではいけない気がした。

 さてこの辺りだったかと当たりをつけてやってきた場所には、やはり人がいた。闇の中白い儒伴を肌に張り付け舞う様は奇妙で妖しく、そして美しい。
 市丸はしばし魅入り、動かなかった。舞人も市丸に気付かないのか、ゆるりとした動きを止めない。
 けれど不意に、雨でぬかるんだ地面に捕まり、舞の呼気が乱れた。
 よろり、よろけた体を市丸が捕える。そして訊く。

「何しはっとん、雛森ちゃん」

 名を呼ばれ、舞人が「え」と傾げた顔を上げる。下ろした髪が頬に張り付き、暗がりで表情は分からないが、目がとろんとうるんでいるのは見て取れた。
 雛森からかすかに酒の匂いをかぎ、ああ酔ってはると市丸は気付く。
「風邪引いてまうよ。戻ろ?」
 重ねて言うと、雛森はまだ夢見顔で。
「…雨、が」
「うん、降っとるねぇ」
「降ってたから」
「せやから舞っとたん?」
 こくり、頷く。
「さよか」
 市丸の相槌に、雛森は花のように笑み。
 こてり、寝てしまった。
 まるで子供のような寝顔だった。頬の赤みがその印象を助長する。唇は無防備に小さく開き、そこから覗く歯列は誘っているかのよう。
「粋な酔い方しはるねぇ」
 笑い、市丸は傘を残し、代わりに雛森を抱き上げる。

 霧雨に散らすには、この花はまだ惜しかった。

―――了



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霧雨が好き。
夕方と夜の間なら尚良し。